プロローグ
今から40年前に都心を少し離れた町に暮らす一人の金銭的に恵まれなかった家庭に育った少年がいた。
そして彼はふっとした切っ掛けで、ROCKと出逢い髪を伸ばしグルーブし本物への道を辿った。
世の中のあらゆる欲望と矛盾の交錯する現実に多く出逢った。(鎌倉ヒッピーズムや下北アングラなど)
「今は自分の事は自分で全てしなければ、親兄弟以外、だれも助けてくれない」と悟った。
それを理念にあらゆる欲望を捨て、裸になった彼は次世代に残せるささやかな行動を興した
(何でも夢実現するプロジェクト)ユミステージ・プロジェクトを数人の理解者とともに創り、
サラリーマン(放送・舞台)やミュージシャン(セミプロ)を完全にリタイヤした。
第1章「悟。価値観」
彼はあまりの奇抜さに周囲に罵倒されながら波乱万丈の人生を超え数年後、移動する舞台車など始めとする
我が国初のモノのアイディアそれが世間のニーズにあたり大きな財を築いた。
しかし、彼は何か言い切れない矛盾を感じていた。 ふっと思った「どうせ死ぬんだったら、こんはずじゃなっかた
と言って死にたくない。金は天下の周りモノ後から着いて来るモノ、現在は金より、人の心が先だ、まあいいやと
言って死にたい。」本当に思った。
それは大きく2つに分かれ、彼の考えに、新しく旅っていた者もいた。(中には現在莫大な財産を成した者もいる。)
第2章「出逢い。」
彼は偶然、自主製作音楽家、ライブのみで歌い、自らの作品を徒歩で手売りする分野のマイナーなアーティスト
の可能性に出逢った。
(この頃、セルフ・プロデュース(自主制作)するアーティストをアングラ・セミプロ・マイナーなど呼んだ。)
その方向は市民ボランティア、放送関係者、イベント関連の協力で、我が国最初のセルフ・プロデュース
(自主制作)サポートメディアとして、イベントFMを作り,更にインターネットホームページを開いた。
また同時に、当時セルフ・プロデュース(自主制作)できるアーティストの呼称であった、(アングラやセミプロ)
などの暗いイメージの呼称から、アメリカやヨーロッパでよく使われていたインディオ、インディーペンデント
(自由、独立、自主など)の発展呼称インディーズを持ち入り紹介番組を創った。
第3章「苦悩」
時代は益々テレビやFM主流になり、インディーズという呼称の響きはインパクトがあり一時、話題を呼び、
一人歩きし始めた。
更に多くの勘違いメディア達の驕りなのか意図なのか、メジャーの予備軍やコピー難破、マイナープロダクション
制作、全国の契約ライブハウスアーティスト)までを一緒にして、全てインディーズと呼称するようになり世の中
に浸透した。、
それは、セルフ・プロデュース(自主制作)出来るアーティストにとって存在価値がなくなり、解散なども多々
みられた。インディーズ本来の(自由、独立、自主など)価値観は崩れ去っていった。
第4章「世界の輪」
そこでまた、彼は新しい仲間と共に生き残ったアーティストを探し出し、試行錯誤して、新たなweb放送、BB
(欧米ではすでに日常茶飯事であった、インターネット放送)という我が国に全くなかった未知の分野に踏み込んだ。
呼称についても、番組内で、インデーズから、オリジナルアーティストからやがて(サムライ音屋)と呼称、
セルフプロデュース(自主制作)出来るアーティストを分類することにした。
現在のインディーズと分離するため、作品審査も厳格にして、本物(万民に通じる)中心のサポート体制に創り替えた。
NETを通して世界中から彼に共感する人々が集まった。サポートアーティストが、ライブキングになった。そして、
ついにヨーロッパでデビューした。
第5章「生き残るということ。」
阪神淡路沖大震災の教訓は彼に残り少ない財産を全て投げ出させ生き残るための新しいシステム構築の重要性を示唆した。
そして、いざという時の情報網、災害気象情報総合リンクポータルwebをメインとした、市民による市民のメディア
シティ(街)ニューズ(情報)ボックス(基地)をテーマにした(CNB放送システム)を実験的に開始した。
後にそれは大きなテーマ(自主制作芸術と生き残るNET)を掲げた、現在のCNBweb放送に改めた。
現在国内をボランティアで東西でエリア別にし、市民ボランティアの窓口を開放した。
最終章「草の根運動しかない。」
CNBweb放送は本当の市民による市民の情報NETを試行錯誤しながら、現在も構築中である。
そして、今尚、「あなたも是非ご参加ください。一人でも多くの方が参加していただければ大きな
生き残る情報NETなりますと」叫けび続けている。
おわり
彼の祖先は昔、西の国(現在の山口県防府市あたりかららしい)から、大きな困難と人々を失いながら、甲斐の国(多分現在の山梨県秋山村)にたどり着き、飛騨の里(現在の岐阜県飛騨山中らしい)と相模の国(神奈川県小田原)に分かれ、北条家に助けられた小田原組は凄腕の剣術と頭の良さをかわれ、影で従事し偲びに身を落とした侍一族の長(オサ)だったと、20年前に殉死した、私の父に何回となく聞かされ育ちました。
しかし、北条は一石一畳も与えず、暮らしは貧しく、自給自足と身を隠す為、小田原に小さな里(水之尾)を開き、百姓の長(オサ)として暮らしていたそうです。
これもフィクションか否か 時の流れぞ知るところ。
水之尾の民
主宰:毛利 乱丸
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